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スロットマシンを発明したのは誰?

スロットマシンは世界中で大人気の娯楽として親しまれており、技術の進歩に伴いスロットの機種も年々増えています。それぞれのスロットに独自の機能や勝利方法が搭載されていますが、昔から多種多様であったわけではありません。

1887年に、米国サンフランシスコに住むドイツ系移民のチャールズ・フェイが初代スロットマシンを発明してからの、スロットマシンの軌跡を辿ってみましょう。

発明者であるフェイについて、ゲーム好きなカジノ愛好家だったであろうと思われるかもしれませんが、残念ながらそれは大間違いです。当初フェイは車の整備士として働いており、自分の発明が将来のギャンブルという娯楽の世界を大きく変えることになるとは、彼自身も想像していなかったでしょう。

初期のスロットマシンは様々な名前で認知されており、「スロットマシン」という言葉がギャンブルに使用される様々なマシンを指していたわけではなかったようで、例えば、自動販売機も「スロットマシン」と呼ばれていました。フェイの開発前に、マークを揃えると飲み物やタバコが当たるポーカーマシンが存在していました。このマシンは勝者に商品を与えていたことから、貿易シミュレーターとしても認知されていました。

フェイは、グスタフ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・シュルツが開発した初期のホースシュー・スロット(蹄鉄スロット)を改良し、ギャンブルの世界に革命を起こすことになります。フェイが開発したマシンには10種類のシンボル(標準の絵柄やベル、蹄鉄など)が描かれ、3列のリールで構成されていました。のちに「リバティ・ベル」という名で知られるようになり、フェイはギャンブル革命を推し進めました。フェイが開発したマシンとポーカーマシンの大きな違いは、商品でのやり取りではなく現金で支払われるという斬新な新機能だったのです。

発明はまだまだ止まりません。「リバティ・ベル」発明からわずか5年後に「4-11-44」と呼ばれる第2のアイディアに辿り着きました。これは4-11-44という数字を当てると勝ちとなる、当時人気だったポリシーという数字ゲームを参考に考案され、新開発のマシンでは、勝つと最高5ドルが払い戻しされるようになりました。このマシンで大きな成功を収めたフェイは、これまでの小規模取引から大きな工場生産へレベルアップする必要があると気付き、すぐに動き始めました。

フェイは更に改良を続け、1899年に「カード・ベル」を一般公開しました。このマシンには星のシンボルが追加され、20枚の10セント硬貨に対して3つのベルのシンボルが揃うと、獲得賞金の最高額が増加するという新機能が備わりました。

20世紀初頭になると、スロットマシンという名前は広く知れ渡り、ミルズ社がフェイのマシンを改良し販売を開始しました。当時のデザインは、フェイの原型に新しく改良された硬貨投入口や、新たに追加されたシンボルを足したものでした。そして、フェイのマシンを原型とした新機種は大成功を収め、1914年までにはヨーロッパ全域の工場で約3万台のマシンが生産されるようになりました。

従来のマシンに電気と音響が組み合わることで、スロットマシンは1960年までに大盛況を博すこととなりました。ピンボール・マシンで有名だったバーリー社はすぐにブームを察知し、事業拡大に取りかかりました。そして1960年代にバーリー社は業界に革命をもたらすのです。リール数を増やし、より多くの硬貨を一度に多く投入できるように改良したことで、プレイヤーがより高額なジャックポットを当てるチャンスを増加させたのでした。

バーリー社の事業拡大により、スロットマシンはギャンブル市場において、欠かすことのできないものとして発展しました。残念ながら、現代のスロットマシンを見ても、チャールズ・フェイが発明した初代スロットマシンの面影はほとんど見当たりません。

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