カジノ

歴史上の大物ギャンブラー

「大きな賭け」の解釈は人により様々です。10ドルと言う人もいれば、100ドルと言う人もいるでしょう。しかし、1日または1週間に何万ドルも賭けに費やすという驚異的なプレイヤーも実際に存在しています。

このような人々は、プレイヤーの視点からは「ハイローラー」と言われていますが、カジノの視点では別のレベルにあります。例えば、ハイローラーはカジノで3日間でおよそ10万ドルから100万ドル使っても、カジノが注目して「ホエール」とみなすは100万ドルのラインを超えたときです。ホエールは毎週100万ドルから2000万ドル使い、数100万ドルの勝ち敗けを出しています。

ホエールは、一度のベットに2万5千ドルを使い、カジノの特典を巧みに生かします。ホエールは世界に200人以下しかおらず、膨大なビジネスをもたらしてくれる彼らを呼びたいカジノは互いにしのぎを削っています。

ところで、ホエールとはいったい誰なのでしょう?ここで、歴史上のカジノのホエールたちのストーリーをいくつか見てみましょう。

アーチーカラス

カラスが初めてラスベガスに来たとき、彼の持ち金は50ドルのみでした。しかし、彼はクラップスに夢中になり、これを4000万ドルにまで増やすことに成功しました。彼は何年にもにわたってラスベガスの様々なカジノで大きな勝利を重ねました。夢が実現した今もなお熱心なプレイヤーです。

柏木昭男

柏木は、70年から80年代のラスベガスで最も良く知られたギャンブラーの1人でした。彼はバカラに明け暮れ、一度の賭けは通常20万ドルを超えていました。彼は大成功をおさめましたが、1992年に日本の自宅で殺害されました。

ドン・ジョンソン

ジョンソンは、ラスベガスの2つのカジノで、どうやって1500万ドルを儲けたかについて書かれた2つの記事がメディアに出たことで有名になりました。しかし実際は、ブラックジャックのプレイ中、カジノがジョンソンに有利になるような裏工作をおこなっていたことが明らかになりました。

カメルナシフ

多くのホエールのように、ナシフもバカラ専門でした。彼は一年に何度もラスベガスを訪れ、一度に20万ドルを賭けています。彼は負けが続くと大変不機嫌になるという噂があります。

ケリー・パッカー

オーストラリアメディア界の大御所パッカーは、極めて大胆不敵なギャンブラーでした。彼は一度に数百万ドルを賭け、プレイするたびに勝っていました。彼はかつてMGMグランドカジノで、ベットごとに30万ドルを費やし、一度の訪問で合計3300万ドル儲けた、という噂があります。

ラリー・フリント

ラリー・フリントは、何十年にもわたりラスベガスを訪れており、主にブラックジャックを楽しんでいます。彼の一度の掛け金はおよそ5万ドルで、いつもラスベガス・ヒルトンでプレイしていましたが、彼の頻繁な訪問について耳にした他のカジノも、彼に来てプレイしてもらえるようオファーを出し始めました。

モー・チャン

彼は、オーストラリアのカジノでの成功で有名です。バカラで一度に30~50万ドル賭け、1000万ドル以上を儲けました。この中国人ギャンブラーは人目を避けることで有名で、未だに彼を写真に収めた人は誰もいません!

フィル・アイヴィ

アイヴィは、ほぼ間違いなく史上最高のポーカープレイヤーで、世界中を回っていることでも有名です。彼の勝ち負け金額は隠されていますが、クラップスの1ロールに10万ポンド、バカラ1ハンドに20万ポンド賭けることで知られています。

ブルネイ国王

ブルネイ国王は、カジノに多額を費やすことで知られており、特にロンドンのカジノに姿を現しています。彼はギャンブルで一日に100万ドル負けることでも有名です。彼はバカラに熱心で、定期的にお忍びで世界中を回ってプレイしています。

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