今年の夏も移籍期間が終了となりました。ここで、過去の移籍期間最終日に決まった最悪といわれる移籍トップ20をお伝えしましょう。焦って決めてしまった契約や、採算が取れない契約など、さまざまなケースがあるようです。
20)ウェイン・ブリッジ
2012年:マンチェスター・シティからサンダーランドへ (レンタル移籍)
シティは、2009年に1150万ポンドを投じてブリッジを獲得しましたが、4年間の在籍中たった58試合に出場という残念な結果でした。数々のレンタル移籍を経た後に、サンダーランドへレンタル移籍となりました。しかし、スタメンとして起用された試合はわずか10試合となり、そのうち5試合は控え選手としてベンチで過ごし、フル出場はなんと1試合のみという、ある意味記憶に残る移籍となりました。
19)オーウェン・ハーグリーヴス
2011年:フリーエージェントでマンチェスター・シティへ
ハーグリーヴスは、2011年にマンチェスター・ユナイテッドから放出されましたが、YouTubeビデオでの実力アピールが成功しマンチェスター・シティとの契約に至りました。しかしプレミアリーグ出場はわずか1試合という惨憺たる結果となり、翌年の夏には契約が終了となりました。
18)ブライアン・ルイス
2011年:トゥウェンテからフラムへ
フラムは2011年にクラブ史上最高移籍金の1200万ポンドを費やしブライアン・ルイスを獲得しました。オランダリーグでは2シーズン中33ゴールという輝かしい実績があったものの、プレミアリーグで迎えた最初のシーズンはわずか2ゴールで終了となりました。続く、2年目の結果も5ゴールと成績は振るわず、PSVにレンタル移籍しました。
17)ホッサム・ガリ
2006年:フェイエノールトからトッテナム・ホットスパーへ
ホットスパーはガリをプレミアリーグへ迎え入れました。しかし34試合目に出場した際に、途中交代を命じられたことで怒りが爆発、そのままピッチを去ってしまいました。それ以来、ホットスパーのユニフォームを着てプレーすることは2度とありませんでした。
16)ハビエル・マスチェラーノ
2006年:コリンチャンスからウエストハムへ
マスチェラーノは同僚FWカルロス・テベスと共にウエストハムへ移籍となりました。しかし、トライカーのようにチャンスには恵まれず、当時のアラン・パーデュー監督はマスチェラーノに出場機会をあまり与えませんでした。結局5試合に出場したあと、リバプールへレンタル移籍となり、後にUEFAチャンピオンズリーグ決勝へ出場しました。
15)アサモア・ギャン
2010年:レンヌからサンダーランドへ
サンダーランドでの最初のシーズンは、31試合に出場し、10得点を獲得と活躍しましたが、翌シーズンは3試合に出場したのみで、アル・アインに移りました。最近はフットボールリーグ・チャンピオンシップに戻り、レディングに所属しています。
14)ベニー・マッカーシー
2010年:ブラックバーンからウエストハムへ
当時ストライカーを補強したかったウエストハムは、マッカーシーを獲得しました。しかし太り過ぎていたマッカーシーは動きが鈍く、14試合に出場したきり、シーズン終了時にはチームを放出されるという結果になりました。
13)アンドレ・サントス
2011年:フェネルバフチェからアーセナルへ
ベンゲル監督のいつもの動きにより、アーセナルは最終日ギリギリに600万ポンドでサントスを獲得しました。サントスは1年半の間にリーグ33試合に出場した後、ブラジルへ帰国しました。
12)エリック・ジェンバ=ジェンバ
2005:マンチェスター・ユナイテッドからアストン・ヴィラへ
ジェンバ=ジェンバはプレミアリーグで活躍することができませんでした。マンチェスター・ユナイテッドでは期待外れ、アストン・ヴィラではさらに悲惨といえる散々な結果だったのです。11試合に出場した後、バーンリーにレンタル移籍となりましたが、後に放出されてしまいました。
11)ロビーニョ
2008年:レアル・マドリードからマンチェスター・シティへ
シティの新オーナーが2008年にロビーニョの獲得を発表し、世間に衝撃を与えました。しかし、噂ではロビーニョの希望していた移籍先はチェルシーやマンチェスター・ユナイテッドだったと言われています。最初のシーズンはチームに貢献し、活躍となりましたが、環境に馴染めず、ACミランへ移籍となりました。
10)ジブリル・シセ
2012年:ラツィオからQPRへ
シセはQPR在籍中に6ゴールという結果を残したものの、ハーフシーズンで2度のレッドカードをもらいました。16試合中7試合で出場停止となり、翌シーズンでは12試合に出場、後にスタメンから外されるようになりました。
9)ポール・コンチェスキー
2010年:フラムからリバプールへ
リバプールのホジソン監督は、古巣フラムから左のフルバックだったコンチェスキーを獲得し、代わりにアレックス・カチャニクリッチとラウリ・ダッラ・バッレをフラムへ放出しました。コンチェスキーはシーズン前半のみプレーし、後にノッティンガム・フォレストへレンタル移籍しました。
8)ベンジャニ・ムワルワリ
2008年:ポーツマスからマンチェスター・シティへ
ロビーニョ獲得の直前に、ストライカーを切望していたシティは、ベンジャニを500万ポンドで獲得しました。彼はデビュー戦をゴールで飾ったものの、シーズンを通して合計2得点しか挙げられず、サンダーランドとブラックバーンにレンタル移籍されました。
7)アンディ・ファン・デル・メイデ
2005年:インテルミラノからエヴァートンへ
アンディ・ファン・デル・メイデは、エヴァートンに在籍した4年間のなかで、試合出場数はわずか22試合でした。チームから罰金や出場停止処分を受けたこともあり、マージーサイド・ダービーに出場した際も1点もゴールを決められない残念なプレイヤーでした。
6)シスコ
2008年:デポルティーボ・ラ・コルーニャからニューカッスルへ
当時ケビン・キーガン監督が同意しないまま、ニューカッスルは500万ポンドでシスコを獲得しました。シスコの試合出場数はたった11試合となり、得点もわずか1ゴールとなり、2013年の1月に契約解除となりました。
5)クリストファー・サンバ
2013年:アンジからQPRへ
サンバは、QPRのプレミア残留争いの真っ最中に1200万ポンドの移籍金で契約しました。計算すると、1週間の報酬がなんと10万ポンドと驚きの価格。10試合連続で出場しましたが、チームは19得点を許してしまい4試合を残したまま降格決定となりました。
4)アフォンソ・アウヴェス
2008年:ヘーレンフェーンからミドルズブラへ
アウヴェスは、オランダの選手を選ぶときの判断基準のような存在となりました。オランダ国内のチーム在籍中は得点能力の高い選手でしたが、ミドルズブラでは49試合に出場し13得点という成績で、2008-2009年の新天地を活気づけることはできませんでした。
3)アンディ・キャロル
2011年:ニューカッスルからリバプールへ
リバプールは2011年にクラブ史上最高額の移籍金でアンディ・キャロルを獲得しました。しかし、アンフィールドでは怪我に泣き、その後ウエストハムに移ってからも怪我と闘うことになりました。
2)マイケル・オーウェン
2005年:レアル・マドリードからニューカッスルへ
オーウェンは度重なる負傷に苦しみ、この移籍で選手生命の終わりに近づくことになりました。彼は79試合に出場し30得点を結果として残し、移籍金から換算すると、ニューカッスルは1ゴールにつき1300万ポンドを支払ったという計算になりました。
1)フェルナンド・トーレス
2011年:リバプールからチェルシーへ
トーレスは、締切り最終日に決定した最悪な移籍選手の1人です。移籍金の5000万ポンドに相当する活躍は全くできず、結局チェルシーは2年間のレンタル移籍に出し、事実上トーレスとの契約を終えることになりました。
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