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バルセロナでプレイしたブラジル出身選手をご紹介!

ブラジルは、誰もが認めるサッカー大国。数々の優秀選手を輩出し、彼らのプレイは世界中のサッカーファンを魅了しています。そして、FCバルセロナは言わずと知れた名門クラブ。このチームにブラジル人選手がたくさん所属していても、何の不思議もありません。

バルセロナは、歴代2位の移籍金でフィリペ・コウチーニョを獲得しました。バルセロナでプレイするブラジル人選手は、これで33人目です。それでは、歴代32名のブラジル人選手の顔ぶれは、どのようなものなのでしょうか。大活躍した選手もいれば、そうでない選手もいるようです。

ファウスト・ドス・サントス(1932-32)

彼は、20世紀前半に大活躍した守備的ミッドフィルダーです。ヴァスコ・ダ・ガマからバルセロナにレンタル移籍し、バルセロナ初のブラジル人選手としてプレイしました。

ハグアレ(1931-32)

ハグアレもバルセロナにレンタル移籍した選手。1シーズンのみですが、バルセロナの選手として32回ピッチに立ちました。彼はその後、スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルやオリンピック・マルセイユでもプレイし、ヴァスコ・ダ・ガマでは、ブラジル人ゴールキーパーとして初めてグローブを着用しました。

ルシージオ・バチスタ(1947-49)

彼は、バルセロナに完全移籍した初のブラジル人選手ですが、サッカーよりも夜遊びに夢中になり、チームに定着することはありませんでした。バルセロナでのプレイ回数は、たったの6回。

エヴァリスト・デ・マセド(1957-62)

エヴァリスト・デ・マセドは、バルセロナ初のブラジリアン・スーパースターで、226試合で178得点をあげました。1959年と1960年には、2年連続でラ・リーガ制覇を経験。1960年のヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップでは、宿敵レアル・マドリードを相手に勝ち越しゴールを決めたのですが、1962年に、そのレアル・マドリードに移籍します。

ウォルター・マチャド(1966-67)

マチャドは、1966年にバルセロナと契約を交わしましたが、カンプ・ノウで輝きを見せることはできず、プレイしたのはたったの14試合。その後、南アメリカへと戻りました。

マリーニョ・ペレス(1974-76)

ペレスは、ブラジル代表に15回選ばれており、ブラジルが4位で終わった1974年のWカップの直後に、バルセロナと契約しました。彼は後に、コーチとしてキャリアを積み、1991年にはスポルティングでルイス・フィーゴを育てました。

ビオ(1977-79)

ビオは、バルセロナに2年間所属しましたが、試合に出場したのは9回のみ。それでも、カップ・ウィナーズ・カップでは、3ゴールを決め、チームの優勝に貢献しました。

ロベルト・ディナミッチ(1980)

ディナミッチは、バルセロナでは、8試合で2得点と活躍できなかったものの、ブラジルでは伝説的な存在です。ヴァスコ・ダ・ガマでは多くの試合に出場し、2度得点王に輝いています。引退後は、同クラブで代表も務めました。さらに、彼はブラジルの政治家としても一肌脱いでいます。

クレオ(1982)

当時バルセロナの監督をしていたウド・ラテックが、ベルント・シュスターの代役としてクレオを獲得しました。しかし、ディエゴ・マラドーナがチームに入ったことで、彼の出場機会は奪われていきます。クレオは1シーズンを終える前に、チームを去りました。

アロイシオ・ピレス(1988-90)

彼は、バルセロナ時代に、コパ・デル・レイとカップ・ウィナーズ・カップの優勝を経験しました。その後、ポルトに移籍して、400以上の試合に出場し、19タイトルを獲得。バルセロナよりもこちらのチームで力を見せる結果となりました。

ロマリオ(1993-95)

ロマリオは、1994年のWカップで大活躍。その活躍ぶりは、バルセロナでも変わりませんでした。彼はフリスト・ストイチコフと抜群のコンビネーションを見せ、ゴールネットを揺らした回数は82試合で53回。1995年にはCRフラメンゴと契約を交わし、ブラジルに戻りました。

ジョバンニ(1996-99)

ジョバンニは、ボビー・ロブソン監督体制のもとでカップ・ウィナーズ・カップを制覇しましたが、ルイ・ファン・ハール監督とは馬が合わなかった模様。ジョバンニは、後にハール監督のことを、自己中心的でヒトラーの様だと、批判しています。

ロナウド(1996-97)

ロナウドは、バルセロナで49試合に出場し、47得点を決めました。しかし、同クラブに不満があった様で、たった1年でインテル・ミラノに移籍。

ソニー・アンデルソン(1997-99)

ソニー・アンデルソンは、リーグ・アンで活躍していた選手。バルセロナ移籍後の初シーズンでは10得点をあげ、リーガ・エスパニョーラでも同様の活躍を見せます。しかし、彼もハール監督と良い関係を築けず、リーグ・アンに戻りました。

リバウド(1997-2002)

「左足の魔術師」とも呼ばれるリバウド。もちろん、バルセロナでも大暴れしました。バルセロナ時代には、バロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞。エースとして活躍し、チャンピオンズリーグ出場をかけた試合で、バレンシア相手にハットトリックを決めたこともあります。驚くことに、彼もファン・ハール監督と馬が合いませんでした。しかし、ハール監督は2000年に退任。リバウドは、その後もバルセロナでプレイを続行しました。

ティアゴ・モッタ(2001-07)

パリ・サンジェルマンFCでプレイを続けるモッタ。バルセロナでは重要な選手で、142試合に出場しました。2006年のチャンピオンズ・リーグでも、ベンチ入りを果たしています。

ファビオ・ロッケンバック(2001-03)

ファビオ・ロッケンバックがプレイしていた頃のバルセロナは、不調続きでした。リーガ・エスパニョーラで優勝することもなければ、チャンピオンズ・リーグでも結果を残せず。彼はその後の2005年に、ミドルズブラに移籍します。

ジェオヴァンニ(2002-03)

1900万ポンドでバルセロナに移籍してきたジェオヴァンニですが、結果を残すことができず、1年でチームを去ることに。2008年にはハル・シティAFCに移籍しました。

ロナウジーニョ(2003-08)

ロナウジーニョもブラジルのスーパースター選手。メッシと共に、バルセロナの栄光に貢献しました。数々のタイトルを手に入れ、チェルシー相手に見せたシュートは観客を驚かせました。

ジュリアーノ・ベレッチ(2004-07)

ベレッチは2006年のチャンピオンズ・リーグの決勝で、決勝点を決めてバルセロナに貢献。その後、チェルシーに移籍することになります。優秀なディフェンダーですが、約30メートル離れた地点から、シュートを決めたこともあります。

シウヴィーニョ(2004-09)

ブラジル代表としての試合出場回数は少ないですが、実力は十分にあります。バルセロナでは、ラ・リーガ優勝を3回、チャンピオンズ・リーグ優勝を2回経験しています。プレミアリーグでも、アーセナルとマンチェスター・シティでプレイしました。

エジミウソン(2004-08)

エジミウソンは、バルセロナの重要なブラジル人選手として定着し、低迷していたクラブに光をもたらしました。スーパースター選手ではありませんでしたが、ロナウジーニョやデコを見事にサポートしていた選手です。

エンリケ(2008-12)

エンリケを覚えている人は少ないかもしれません。彼はバルセロナと契約したものの、3回もレンタル移籍で別のチームでプレイ。4年間もバルセロナに籍を置いていたにもかかわらず、一度もバルセロナの一員としてプレイすることはありませんでした。その後、パルメイラスに戻りますが、その後、ナポリでも1シーズンを過ごしました。

ケイリゾン(2009)

ケイリゾンは、ジョゼップ・グアルディオラ監督に見出されて、バルセロナと1260万ポンドで契約を交わしますが、エンリケと同様にレンタル移籍を繰り返し、バルセロナの選手としてプレイすることはありませんでした。そして2014年にブラジルに帰国。

ダニエウ・アウヴェス(2008-16)

アウヴェスは、ベレッチの代わりのディフェンダー。そして、ベレッチ以上の成績を残しました。グアルディオラ監督が指揮を執るバルセロナで欠かせない存在となり、3回のチャンピオンズ・リーグ優勝と6回のラ・リーガ優勝を果たしました。彼は、歴史に残るウィングバックとなることでしょう。

マクスウェル(2009-12)

マクスウェルは、レフトバックの選手で、アウヴェスと同様の役割を担いました。アウヴェスに敵うことはありませんでしたが、優勝カップを手にしているので、十分にチームに貢献していると言えます。

アドリアーノ(2010-16)

アドリアーノは、控えの選手でしたが、彼の柔軟性はクラブの様々な問題を解決しました。

ネイマール(2013-17)

ネイマールは、7500万ポンドでサントスからバルセロナにやってきました。そして、メッシとルイス・スアレスと3トップを組んで、多くの得点を生み出します。これは、語り継がれるであろう3トップです。2017年には、物議を醸しながらも、PSGへの移籍が決定しました。

ラフィーニャ(2013-現在)

ラフィーニャは、バルセロナの育成組織、ラ・マシア出身で、現在もバルセロナに所属しています。兄のティアゴ・アルカンタラ・ド・ナシメントは、現在バイエルン・ミュンヘンでプレイ中。ラフィーニャはバルセロナの注目株です。

ドウグラス(2014-現在)

ライトバックを務めるドウグラスは、バルセロナで3回しかプレイしていませんか、スポルティング・デ・ヒホンやベンフィカへのレンタル移籍中に力を発揮しています。彼の将来が楽しみですが、バルセロナは去年の夏に、ネルソン・セメドと契約を結んでおり、レギュラー争いが厳しくなりそうです。

マルロン(2017-現在)

マルロンは、最初レンタル移籍でバルセロナに入ったのですが、この期間に実力を発揮し、去年の夏に500万ポンドで完全移籍しました。しかし、今はOGCニースにレンタル移籍しています。

パウリーニョ(2017-現在)

パウリーニョは、トッテナムから広州恒大への移籍を経て、去年の夏にバルセロナの一員となりました。バルセロナではすでに7ゴールを決めています。

 

執筆:Dominic Trant

意訳:Natsuki Nishi

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