世界のサッカー選手があこがれるプレミアリーグ。デニス・ベルカンプ、セルヒオ・アグエロ、クリスティアーノ・ロナウドは、この大舞台で見事に成功を収めましたが、中には本領を発揮できなかった選手も存在します。
プレミア行きが話題になったにもかかわらず、結果を残せなかった選手7名を発表しましょう。
ジョージ・ウェア
チェルシー:15試合、5得点
マンチェスター・シティ:9試合、4得点
リベリア出身のウェアは、アフリカ人として初めてバロンドールを受賞し、2000年1月にACミランからチェルシーにレンタル移籍しました。セリエAではストライカーとして大活躍し、1995年に世界年間最優秀選手賞も獲得しています。
チェルシーでのデビュー戦では、トッテナム相手に得点を決め、順調なスタートを切ったのですが、34歳でのプレミア移籍は少し遅かったのかもしれません。その後、彼は思うように得点をあげられず、当時チェルシーの監督であったジャンルカ・ヴィアリは、ウェアと完全移籍の契約は結ばないことを決意。
ウェアは次に、マンチェスター・シティに仲間入りしますが、たった2カ月後に、ジョー・ロイル監督と仲違いしてしまいます。そのため、ウェアは10週間でマンチェスター・シティを退団。その後、彼がプレミアリーグに戻ることはありませんでした。
マリオ・ジャルデウ
ボルトン:12試合、3得点
ジャルデウはプレミアリーグに参戦する前に、驚異的な得点記録を残しています。この記録は、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドと並ぶと言っても過言ではありません。ジャルデウは、グレミオでの18カ月のレンタル移籍中に、73試合中67ゴールを決めました。その後、ポルトでは、169試合中166得点をあげ、彼はさらに評価を伸ばします。さらに、次の移籍先であるガラタサライでは、デビュー戦で5得点を記録。
ジャルデウは2シーズン49試合中53ゴールを決めたのですが、2002年Wカップのブラジル代表チームに召集されず、一年後にボルトンに移籍しました。しかし、プレミアの試合でゴールネットを揺らすことはなく、唯一得点できたのは、リーグカップでの試合でした。そして、2004年1月にイタリアのアンコーナに移籍。この頃にはジャルデウの体は丸みをおび、ファンから失笑を買ってしまいました。
ラダメル・ファルカオ
マンチェスター・ユナイテッド:29試合、4得点
チェルシー:12試合、1得点
コロンビアが生んだスーパースターであるラダメル・ファルカオは、2014年の移籍期間最終日にマンチェスター・ユナイテッドへのレンタル移籍が決まりました。契約金は600万ユーロで、シーズン終了後に4600万ユーロで完全移籍へ移行可能なオプションも付与されていました。
ファルカオはポルト時代およびアトレティコ・マドリード時代は、得点を量産。アトレティコ・マドリードのメンバーとして出場したUEFAスーパーカップでは、チェルシー相手に4得点を決めました。しかし、モナコでプレイ中にラフプレイを受けて、左膝前十字靭帯を損傷する大怪我を負ってしまい、調子を崩してしまいます。そのため、マンチェスター・ユナイテッドでは、4ゴールしか決められませんでした。
チェルシーにレンタル移籍が決まりますが、ジョゼ・モウリーニョ監督の期待に応えることはできず、12試合で決めた得点は1点のみ。その後、古巣のモナコに戻り、今では本来の力量を取り戻しました。
フアン・セバスティアン・ベロン
マンチェスター・ユナイテッド:83試合、11得点
チェルシー:15試合、1得点
スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が率いたラツィオで大活躍したベロンは、マンチェスター・ユナイテッドに移籍後、スター選手であるチームメイトと馴染めるのかどうかが注目されていました。アルゼンチン出身のベロンは順調なスタートを切り、デビュー後5試合で2得点を獲得。そして見事に初シーズンで、レギュラーのポジションを勝ち取り、40試合に出場しました。
しかし、ベロンはプレミアリーグのプレイスタイルやチームメイトに馴染めず、思うようにプレイできませんでした。レギュラーポジションはキープしたものの、彼が決めた6得点中4得点は、プレミアリーグではなくチャンピオンズリーグで決めたものであり、彼がプレミアリーグ向きでないことは明らかでした。
ベロンはマンチェスター・ユナイテッドの次に、チェルシーに籍を移します。チェルシーでもデビュー戦でシュートを決め、滑り出しは順調でした。しかし、怪我に悩まされ、チェルシーの選手としてピッチに立てたのは、たった15回。1シーズンでチェルシーを去り、インテル・ミラノに移籍しました。
アンドリー・シェフチェンコ
チェルシー:76試合、22得点
シェフチェンコは7年間、ACミランに籍を置き大活躍。トータルで175得点をあげ、チャンピオンズリーグでの勝利にも貢献しました。そんなシェフチェンコを獲得するために、チェルシーは、当時最高金額となる移籍金3000万ユーロを支払います。ジョゼ・モウリーニョ監督も、彼の到着を心待ちにしていました。しかし、現実は想像と違う展開を迎えます。
シェフチェンコは、チェルシーでの初シーズンで、たった14回しかゴールネットを揺らせませんでした。次のシーズンでの記録は、8得点。本来の力を見せつけられず、2008年にACミランにレンタル移籍で戻ることになります。彼は古巣でも輝きを取り戻せず、チェルシーに戻りますが、2009年に彼の原点であるディナモ・キエフに移籍しました。
ダヴォール・シューケル
アーセナル:40試合、11得点
ウエストハム:14試合、3得点
1999年、ニコラ・アネルカがアーセナルからレアル・マドリードへと移籍。そして、ダヴォール・シューケルが、アーセナルの一員に。彼は1998年のWカップで得点王に輝き、プレミアファンにも一目置かれる存在でした。スペインでは、セビージャとレアル・マドリードに所属し、合計100得点以上も決めています。
シューケルは、アーセナルでのデビュー戦で、アストン・ヴィラ相手に2回ゴールを決めますが、彼の調子はあがらず、40試合で11得点しか記録できませんでした。アーセナルをたった1シーズンで去り、次はウエストハムに移籍。ここでも、14試合で3得点しか決められず、結果を残すことはできませんでした。
アンヘル・ディ・マリア
マンチェスター・ユナイテッド:31試合、4得点
2014年、マンチェスター・ユナイテッドはアンヘル・ディ・マリアと契約を結びます。この移籍は、当時史上最高額の移籍金を記録しました。アルゼンチン出身のディ・マリアは、2013年のチャンピオンズリーグで、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれるほどの活躍を見せて、チームの勝利に貢献したこともあり、マンチェスター・ユナイテッドは彼の獲得に踏み切ったのです。
ディ・マリアはデビュー後の5試合で3ゴールを決めますが、残念ながらスランプに陥ります。プライベートでも、泥棒に入られるなど、災難続き。追加得点も1点に留まり、プレミアリーグへの移籍後たった1年で、パリ・サンジェルマンに移ることになりました。
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